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「絶歌」書評  生々しいほどに、人間

Posted by SJ on 02.2015 日本社会   0 comments   0 trackback
非難轟々の「絶歌」を読みました。

不当な批判を受けたくないので最初に断わっておきますが、私はお金を出してこの本を買ったわけではないので、印税が元少年Aに流れる云々といった類の批判はあたらないと思っています。

あと、ネットを見ていると、どこだかに転載されたあとがきだけ読んで批判している人がかなりいますが、それは全く持って理不尽です。
あとがきは、文字通り本文を読み終えた上で読むものであって、それ単体で何かの役割を全うするものではないでしょう。
私は汲むべきものは汲んだうえで真っ当な批評をしたいから、本文も全部入手して最初から最後まで読みました。
とりあえず一通り読んで数日経って、今頭に残っている印象を感想として書いておこうかと。
もう一度読み返せば、また新たな印象が生まれるのかもしれません。

さて、本題に入って、
この本を読んだ印象を一言で言うとすれば、「永遠の中二病」といったところ。

内容としては第一部が幼少期~逮捕の過程、第二部が逮捕後~社会復帰の過程で、第一部と第二部でかなり印象が違いました。

第一部は元少年Aの内面だけを照らし出したような感じで、グロテスクな描写もあれば過剰なほど感情的なくだりもあります。
行為というより本人の感情をひたすら辿ったような内容になっていて、例えば人を殺めた場面そのものは全く描写されていません。
それが本人の意向なのか出版社の配慮なのかはわかりませんが。
対して第二部は、人とのかかわり合いの中で元少年Aがどう感じたとかどう考えたとか、そういう描写が多いです。
第一部に比べてどちらかというと単調で穏やかですが、たまに挿入される幼少期の回想(理由もなく弟を殴り続けた等、読み手が戦慄するような内容が過去の客観的な出来事として単調に語られる)との対比が非常に印象的でした。

そうした印象の違いを乗り越えて一貫して感じたのが、元少年Aの自意識の強さ。
自分はこのように感じた、こんな行為をした、それにはきっと過去のこういう体験が関連しているのかもしれない、
といったように、過去のあらゆる行為や思考に思いを巡らせ、点と点とのつながりを模索し、自分の人となりや思考様式を見定めようとしているようでした。
また、逮捕後に色々な小説を読んだというだけあって文体はかなり文学的、具体的に言えば感覚的な比喩表現が多用されています。そうした全体的に遠回しな文章の中で、時折、堰を切ったように畳みかける感情の吐露。
そうした表現が、「僕はこんなにも感受性豊かな人間です。僕はこんなにも感情の起伏に富んでいるのです。」と読み手に訴えようとしているように見えました。
一方で、自分はモンスターだとか、こんな邪悪な自分が許され受け入れられるのが怖いとか、自己を強く否定するような記述も繰り返し出てきます。

とにかく、一貫して彼は自分を見つめていて、自分がこんなにも生々しく「人間」であるということを読み手に示したいのだという印象を持ちました。
年齢的には30代で、何年も社会で働きながら、このようにただひたすらに自己を掘り下げている点と、それを人に見てほしがっているらしい点と、あとは手の込んだ比喩表現や難しい言葉を多用するあたりを、「永遠の中二病」と表現しました。
彼は14歳、まさしく中二病の盛りから、7年半も通常の社会経験を積む機会を失ったのですから、当然と言えば当然なのだと思います。

そして多分彼はそれを自覚しています。「人間失格」に言及した時、現代の若者らしい滑稽な表現で、自分が自意識過剰であることを皮肉っているようでした。
この時の表現を含めて、ところどころに出てくる現代的な言葉から察するに、おそらく彼はかなりインターネットを見ているのではないかと思います。
そして、このように現代的で平易な、いわゆる俗語と言われるような表現が時折紛れ込んでいることから、この本を貫く文学的な文体は、かなり意識的に練り上げたものなのかなと思いました。
他方、既にふれたように、随所で彼は文字通り畳みかけるような感情の吐露を始めます。ある強い感情がはっきりと彼の中になければたぶんああいった表現にはならないだろうと思うような、その感情を表すための言葉をあるだけ並べ立てるような、非常に感情的な文章が連なります。
感覚的でありながら工夫を凝らして練り上げたような文体と、その中に織り込まれたほとばしるような感情的な文章。
ネットでナルシスト的だとか虚飾だとかいったように批判される理由はおそらくこうした表現にあるのだと思いますが、私にはこうした表現はどれも彼の「生身の人間」アピールであるように見えました。



元少年Aが事件を起こし逮捕されたとき、私はまだ小学生でした。
だから、「酒鬼薔薇聖斗」という印象的な名前と、生首、猫殺し、14歳、といったキーワード以外は基本的に記憶になく、当然当時の報道内容も、その後の流れもほとんど知りませんでした。
このように背景知識がほとんどなかったおかげで、この本はあまり先入観なく読めたつもりです。

本を読み進めながら、インターネット広辞苑で事件のいきさつや後日談を読んだ時に、大きな違和感を感じました。
ネットで見られる情報だけを読むと、事件当時の少年Aはまさしくサイコパス。他者への共感が著しく乏しい。
ネットの情報に基づいて描き出される少年Aは、「絶歌」で時折回想される幼少期の描写と通じるものでした。
理由もなく暴力を振るい、自制がきかず、罪の意識も皆無。
そして、そうした過去の振る舞いに対しては今も反省の念はない。

反省がないらしいという点が、この本に対して批判が渦巻く大きな原因の一つなのは明らかです。
そもそもこの本の出版自体が自己中心的な理由によるもので、反省の念があればできるはずがない、と。

犯罪者を擁護するつもりは毛頭ありません。
でも想像してみれば、元少年Aが純粋に本心から自己救済のためにこの本を書くしかなかったのかもしれないと思えるのです。

彼は社会復帰してから毎年被害者の親御さんに手紙を書いています。
その手紙の内容に、良い変化が出ているということは被害者の親御さんも仰っているようです。
でも世間的には事件はもうずいぶん過去のもので、「酒鬼薔薇聖斗」というサイコパスの性倒錯者が起こした猟奇的な凶悪犯罪として片づけられていて、多くの人は今更この事件に関心を抱くこともなく暮らしています。

「絶歌」は、元少年Aが、サイコパスの性倒錯者「酒鬼薔薇聖斗」も生身の人間であることを痛切に訴えかけようとした試みに見えます。
罪を許されたいのではない。全てを受け入れて欲しいのでもない。
邪悪な人間として断罪されたい。憎まれたい。自分の犯した罪の重さを感じ続けたい。
それでも、自分も生々しいほどに感情の起伏に富んだ一人の人間であるということを知ってほしい。
そのような訴えのように見えたのです。

この本には、もちろん眉をひそめるような記述もあるし、思わず口を覆う場面もありました。
元少年Aが重罪人であることはたとえ本人が死んでも変わらないし、今後何をどう努力しても赦しなど得られないでしょう。
でも、彼も生身の人間であって、色々な苦悩も当然あるし、メディアやネットの情報で作り上げられてしまった彼のイメージは、もうどうにも壊せなくて、彼はそれによって苦しんでいるのだろうと思うのです。

「絶歌」から二文だけ引用します。
”僕にとって「書く」ことは、自分で自分の存在を確認し、自らの生を取り戻す作業だった”。
”自分が自分でいられる安息の地は、自分の中にしかなかった”。

彼は常に作り上げられたイメージを背負わされて生きているのでしょう。
「酒鬼薔薇聖斗」、「モンスター」、「少年法改正議論の火付け役となった凶悪犯罪者」。
そしてたぶん、特定の人々にとっては「国家の威信をかけた更生プログラムの被験者」。
現在の彼を規定するのは過去の行いでしかない。彼自身の意識も、自分の過去から逃れられない。

でも現実に彼は様々な苦悩を感じていて、それを更生と呼ぶかはわからないけれど、事件当時と比べると考え方に変化もある。
元少年Aも一人の人間で、人間らしい苦悩を背負って生きている。
こんな当たり前のことを純粋に認めてくれる人がいないということが、”自分が自分でいられる安息の地は、自分の中にしかなかった”という言葉の意味なのではないでしょうか。



元少年A。あなたの本当の名前は知らない。
私はあなたが心を砕いて綴った本を読みました。
そしてこう思いました。
あなたは、生々しいほどに、人間なのだと。
どうかその人間らしい心で、これからも耐え難い罪の重さを感じ、その罪のせいで自らに向かうあらゆる刃に切り裂かれ、深い後悔と自責の念に打ちひしがれてください。自分を呪ってください。
そして、それでも、人間でいられることに感謝し、人間らしくあることを諦めないでください。

そしていつも思い出してください。
この世界には、あなたを憎みながらも、きっとあなたのことを正しく理解してくれる人間がいるのだと。
この世界は、残酷で、そして残酷なくらいに、美しいのだから。
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プロフィール

SJ

Author:SJ
大阪生まれ、東京かぶれ、オーストラリア、ナイジェリア経由、2013年英国にてアフリカ研究修士号取得。
関心事項はアフリカ、開発、国際情勢、日本の政治・社会、メディア。
趣味は海外旅行と映画鑑賞、写真撮影。
世界で一番好きなものは猫(大小問わず)。

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