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メディア接触に見る思考放棄

Posted by SJ on 24.2014 メディア   0 comments   0 trackback
とても長い間更新が止まってしまいました。

著者は前回更新時と変わらず、日本に拠点を置いて人道支援に携わっています。
仕事をする中で、そして日本で日常を過ごす中で、アフリカの国や援助をめぐる情報発信と大衆の受容のあり方について思うところがあったので、文章にまとめておこうと思い、筆を執りました。

筆者は家にテレビがないので、たまに実家に帰ったときか出張でホテルに泊まった時しかテレビを見ません。
そんなわけで世の流行にめっぽう疎いのですが、
先日実家で母が録画していた番組を見て愕然としました。
以前も別の記事で触れたかもしれませんが、外国で暮らす日本人の半生をドラマティックに描く類の番組の一つです。
その回のキャッチフレーズ(?)が、
「西アフリカの秘境、ガーナ」(に嫁いだ日本人)

「秘境」という言葉が流行っているのは知っています。今年の新語・流行語大賞の候補にも入っていると聞きました。
本来の意味とかけ離れて使用されているのかもしれませんし、テレビ的演出なので仕方ないのかもしれませんが、
ガーナは政治的にも経済的にも比較的安定し、西アフリカの中心的役割を果たしているといえる国の一つです。
そのガーナを一国まるごと秘境呼ばわりとは、誇張にもほどがあろうと思ってしまいました。
しかもこのフレーズを番組放映中ずっと画面右端に表示し、CM明けのたびに毎度アナウンスするのですから、洗脳かと思ってしまいます。

でもそんなゆがんだ情報をすんなり受容する視聴者もいるのかと思うと、残念の一言です。
仕事をする中でも、メディアに感化されやすい人々の情報リテラシーの低さを非常に危惧しています。
テレビや新聞で流れる情報など、作り手の作為によって切り取られ誇張され、当人の主観で歪められているというのに、それに注意を払うこともなく感情のままに受け入れ騒ぎ立てる。
ソーシャルメディアで容易に形成される集団心理でその感情的な反応が増幅され、単純化され元の情報からも乖離していく。
ネットニュースのコメント欄や掲示板サイトなどを見ていると、そもそも情報をきちんと読めない人も散見される。
こういった単純化や誤認識が共鳴しあい、わかりやすく感情に訴えるようなストーリーが出来上がってしまう。
それはもう、元の情報を下敷きにして、美しいものは徹底的に美しく、おぞましいものは徹底的におぞましく脚色されたフィクションでしかないのです。

わかりやすい例で言えば、「イスラム過激派=悪」とか、もっといくと「イスラム=悪」とか、そういった単純化されたストーリーです。
イスラム過激派を擁護するわけではありませんが、彼らも人間で、彼らなりの理由があって過激派に合流して、彼らなりの正義を信じて行動しているのであって、そういった根本原因を見ようともせずに批判するのは浅はかです。
単純化されたストーリーは善悪の区別を明確にしてくれるから、受け取り手は何も考えずに悪の側を批判して善の側を擁護し応援すればいい。
こういったフィクションは私たちの思考を必要としない、裏返して言えば思考を停止させるものです。

筆者が大学生のころ、物質社会における人の三大欲求とは「もっと安く、もっと早く、もっと便利に」だと聞きました。
「便利」とは何なのでしょうか。
自動ドア、エレベーター、オートマチック車、自動ブレーキのような自動化のことでしょうか。
スマホの音声アシストのような手軽なサービスのことでしょうか。
ATMやオンラインバンキングのようにいつでも都合のいい時に使えるということでしょうか。
結局、どれも人間が難しい作業や手間のかかる行為をするのを避けられるということです。
それはつまり人間が思考する機会を奪っているということではないでしょうか。

何も考えなくても機械の簡単な指示に従っていれば生きていける、便利な世界。
そこで暮らす私たちは、次第に物を疑ったり自分で思考することを煩わしく思い、情報にも便利さを求めているのでしょうか。
善か悪かの二極対立が鮮明で、頭を使わなくても感情だけで判断できる便利な情報を求めているのではないでしょうか。

ナイジェリアのモスクでボコ・ハラムによるとされる自爆テロ・襲撃事件があり120人が死亡したというニュースについて、こんなコメントがありました。
(ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20141129-35057206-cnn-int&s=lost_points&o=desc&p=2)

「イスラム国もボコ・ハラムも何をしたいのだか ただの殺戮にしか見えない。」

イラク・シリア地域のイスラム国とナイジェリアのボコ・ハラム、どちらもイスラム法に則った国家の建設を謳っている組織ですが、それを知らずのコメントなのか、知ったうえで殺戮にしか見えないと皮肉を言っているのでしょうか。

イスラム国家の建設を目指しているという共通点に加え、どちらの組織も反西洋の姿勢を鮮明にしています。
イスラム国は欧米列強が引いた国境を否定し、拘束した欧米人を処刑していますし、ボコ・ハラムは組織名からそもそも「西洋の教育は悪」と西洋的価値観を否定しています。
何をしたいのかは内部、しかも幹部クラスの人間にしかわからないでしょうが、ただの殺戮にしか見えないというのは思考の放棄以外の何物でもありません。

また、同じ記事に
「昨今のイスラム教過激派は、単なる犯罪者集団にしか見えない。もはや、理想すら持ってないと思う。」
というコメントもあります。

昨今の~ということは、かつてのタリバンあたりと比較しているのでしょうか。
結成当初のタリバンは、その名の通り神学生が結成したもので、腐敗した軍閥による支配を打倒するという清廉な理想を持った組織であったと聞きます。
無宗教の人間から見れば宗教などどれも詐欺のようだとも言えますが、動員されている子どもや若者は外部の人間からすれば洗脳されていると言っていいほど熱心に組織の掲げる理念を信奉していたりします。
また、職を得られない者は生活の糧を得るために戦闘員として合流するなど、理想ではなく現実的な選択、要は生存戦略として組織に加入することもあります。
こういった組織も一枚岩ではなく、様々な理由を持った成員で構成されています。そうした人をひとくくりにして犯罪者集団と断じるのは、感情的な反応でしかありません。

決してコメントした個人を糾弾したいのではなくて、こういった形で単純化された善悪のストーリーがネット上で匿名の多数から賛同を得て固定化され、広く定着していくのは由々しき事態ではないかということを言いたいのです。
情報の受容の仕方に問題があるのでは、正しい情報を発信しようとしても発信側にできることは限られているのかもしれない。

どうしたら「悪」のイメージで定着してしまったものに対する正しい理解を促すことができるのか、考え、行動しなければいけないのだと、思いを新たにしています。
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プロフィール

SJ

Author:SJ
大阪生まれ、東京かぶれ、オーストラリア、ナイジェリア経由、2013年英国にてアフリカ研究修士号取得。
関心事項はアフリカ、開発、国際情勢、日本の政治・社会、メディア。
趣味は海外旅行と映画鑑賞、写真撮影。
世界で一番好きなものは猫(大小問わず)。

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