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海の向こう、陸の彼方

Posted by SJ on 25.2013 アフリカ   0 comments   0 trackback
残暑お見舞い申し上げます。

以前にも似たような記事を書きましたが、
今日はアフリカに対する認識について、少し考えたいなと。

この夏に1年ぶりに再会した友人と話していて、
なぜ筆者がアフリカ研究を選択するに至ったかについて聞かれました。
これはもう、会う人会う人に聞かれるので難しくもなんともないのですが、
その人の質問はちょっと違っていました。

というのも、筆者、実はもともとは開発学に関心がありました。
開発学は、日本の大学では設置されているところは少ないですが、
英国ではかなりメジャーで、どこの大学にも設置されている人気コースです。
昨今の国際協力ブームみたいなものもあってか、日本人にも人気です。

筆者も例に漏れず、大学生の頃、英国で開発学の修士をやろうと考えていたわけです。
ところが、大学を卒業した後に開発援助の世界で働いても、
開発学というものがどうもぴんとこなかったんですね。
実際に開発学を修めた人にも何人か会いましたが、
なんだか自分の中でストンと落ちるものがなかった。

進学資金がたまって、いざ出願先を選定する段で、
何を学ぶのかじっくり考えましたが、まだこれというフォーカスが見つからずにいました。
開発学、と一口に言っても、その中で細かい分野があるんです。
平和構築、教育、ジェンダー、都市計画、経済などなど。
そういうテクニカルな分野の中から一つを選ばなければいけない。
それなのに、どうしてもこれというのが見つからなかった。
学部時代の専攻が政治学だったので、結果的にはそれに一番近いガバナンスを選んで2,3出願しました。

そんな中、結果的に進学することになる某大学に、アフリカ研究科なるものがあるということを知り、
ホームページを詳しく見たところ、まさにこれだと思ったんです。
たぶん、特定の分野に閉じ込められてしまう開発学に、無意識的に疑問を持っていたんだと思います。
その点アフリカ研究は特定の学問に拠るものでもなくテクニカルな分野も関係なく、
ただアフリカという地域にフォーカスすることだけが求められており、
フィールドとしてはアフリカと心に決めていた私にとっては、この上なくすんなり入れる世界でした。
そんなこんなでこのアフリカ研究科に出願し、無事に進学する運びとなったわけです。


話を元に戻します。
久々に会ったその友人の質問は、
開発に興味があったのなら、なぜアジア等でなくアフリカを選んだの?でした。

開発学を学ぶ日本人学生も、フィールドはアジアを選択することが多いように見受けられます。
アジアを選ぶ理由が、親近感なのか、地理的要因、なのか政情や治安なのかはわかりませんが、
あえてアフリカを選択するというのが奇異に映ったようです。
実際、アフリカ研究科には今年は日本人は筆者一人でしたし、昨年度はゼロだったようです。

筆者としては、既にアフリカに関わる日本人の輪の中にいるのもあって、
アフリカに関心を持つことが日本人として特異なことだとは思わないのですが、
日本へ戻ってきてテレビを見たりしていると、アフリカと日本の心象的距離をひしひしと感じます。


世界の意外なところにいる日本人を取り上げた番組、流行っていますよね。
名前も認知されていない、地図で指すことなんて到底できない国。
日本の教科書にほとんどアフリカが登場しないことを思えば、
そういった国はアフリカにはたくさんあるでしょう。
でも、それを「秘境」と呼びますか?

愕然としたのが、某番組で
「西アフリカの秘境、ブルキナファソ」と
一国まるごと秘境扱いしていたこと。

念のためですが、広辞苑によると、「秘境」とは
「人跡のまれな、様子がよく知られていない土地」のことです。
人跡どころか、ブルキナファソには1750万の民が暮らしています(数は外務省HPからの引用)。
では日本人の人跡はどうかというと、在留邦人は121人いるようです(同上)。
日本大使館もちゃんと設置されている。
秘境なんてしろものではないんです。

ではなぜこんなにも知られていないのか?

知ろうとしないからです。

知らない理由はこちら側の無関心であり、つまるところそれはただの無知です。

己の無知を「秘境」なんて美名で取り繕うなど、その地で生きる人々に失礼甚だしい。

この「秘境」という表現に透けて見える製作者の傲慢と大衆迎合的な態度がどうにも受け入れがたく、
また、アフリカと日本の距離を縮めるなんて大仕事、道は長いなと痛感した次第です。

でも逆に言えば、できる人間がやらねば、と覚悟を新たにするきっかけにもなりました。

今持てるものを使ってできることはまだまだ些細なものですが、地道に続けて行こうと思います。

その一歩、アフリカの情報ブログ、Meanwhile in Africa...もどうぞよろしくお願いします。


筆者は今、思いがけず良縁に恵まれ、無給ですが研究活動に従事しています。
それもあって、思うほど頻繁に更新できずにいるのが現状ですが、
慣れてくればもう少し効率的に記事を公開できるものと思います。

一人でも多くの方にお読み頂くことが、続けていく励みになります。

今日もお時間をありがとうございました。
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一方その頃、アフリカでは

Posted by SJ on 09.2013 アフリカ   0 comments   0 trackback
先日予告した、アフリカのニュースを日本語で伝えるサイトを、ようやくオープンしました。

http://meanwhile-in-africa.hatenablog.com/

名前はMeanwhile in Africa... 「一方その頃、アフリカでは・・・」という意味です。

まだ1つ目の記事を書いたところですが、是非ご覧頂ければ嬉しく思います。


一つ目の記事は、思い入れのあるものを取り上げたかったので、
15年前に起きた悲劇的な事件を取り上げました。

今回は、新サイトの紹介の意味で、以下、同サイトからの抜粋を転載します。





時は1998年8月。ベルギーの首都ブリュッセルに降り立った飛行機の着陸ギアの部分から、

二人のギニア人少年が遺体で見つかりました。

14歳のYaguine Koita君と、15歳のFode Tounkara君。

彼らは、ヨーロッパの人々に宛てた一通の手紙を携えて、飛行機のギアに潜り込んだのです。

ギニアの首都コナクリから、海を越え陸を越えて、遥かなる希望の地、ヨーロッパ へ。

彼らを決死の旅路に着かせたのは一体何だったのでしょうか?

以下が、彼らの手紙の日本語訳です。

原文に何箇所か、文法的正確性を欠く部分がありましたが、全体の趣旨を考慮して訳してあります。



我々はアフリカとどう関わるべきなのか?

彼らの手紙を読めば、少し考えが変わるかもしれません。

(原文はJames G. Fergusonの'Of Mimicry and Membership: Africans and the "New World Society"'掲載のものを採用しています。)



-------------------------------------------------------------



ヨーロッパの閣下、各位、並びに公人の皆様、



この手紙を書くことで、あなた方に僕たちの旅の目的と、僕たちアフリカの子供・若者の苦しみについてお話しできることを大変名誉に思います。

僕たちはあなた方に信頼を置いています。



まずはじめに、挨拶をさせてください。

これはこの世で一番甘美で愛おしく、尊敬に満ちた、生きとし生けるものからの挨拶です。

そして、これに免じて、どうか僕たちアフリカの人民を支え、助けてください。あなた方でなければ、僕たちは一体誰に助けを求めればいいと言うのでしょう。



お願いですから僕たちを救いに来てください。あなた方の美しい大陸と、その人民、あなた方の家族、そして何よりもあなた方が命と同じように愛してやまない子供たちへの愛情を思い出してください。

そしてまた、あなた方に良き経験と富を与え、またヨーロッパ大陸をうまく構築し、組織し、現在のように最も美しく慈しむべき大陸たらしめる力を与えた創造主、全能の「神」の愛と優しさを思ってください。



ヨーロッパの各位並びに公人の皆様、僕たちは、僕たちを救いに来てくれるよう、あなた方の親切心と結束に訴えているのです。

どうか、僕たちを助けてください。

僕たちはアフリカでとてつもない苦しみに耐えています。

助けてください、僕たちはいくつも問題を抱えているのです。

子供の権利が保障されていないこともそのひとつです。

僕たちが抱えている問題は、戦争、病、栄養失調など様々です。

子供の権利について言えば、アフリカ、特にギニアには、学校はたくさんありますが、教育や指導が全然足りていません。

私立の学校に行かなければ良い教育や指導を受けられませんが、それにはかなりのお金がかかります。

僕たちの親は貧しく、僕たちに食べさせるのに精一杯です。

サッカーやバスケットボールやテニスをするための施設もありません。



ですから、僕たちアフリカ人、特に僕たちアフリカの子供や若者は、あなた方に、アフリカが進歩できるようにするための、偉大で効果的な組織を設立してもらいたいのです。

そして、もし僕たちが、この手紙を届けるために僕たちの命を犠牲にする結果になっていたとしたら、それは僕たちがアフリカで苦しみすぎているからなのです。

僕たちがアフリカで貧困と闘い、戦争を終わらせるためには、あなた方の助けが必要です。

けれども、僕たちの最大の願いは、勉強することです。

僕たちが勉強して、アフリカであなた方と同じようになれるように、どうか力を貸してください。



最後に、あなた方のような身分の高い方々に、不躾にもこんな手紙を書いてしまったことをどうかお許しください。僕たちはあなた方を本当に尊敬しています。

僕たちがアフリカの力の弱さを訴える相手はあなた方しかいないということを、どうか忘れないで。



二人のギニアの子供たちより。

-----------------------------------------------



苦しみを翼に、命を賭してこの手紙を世界に知らしめたYaguine Koita君とFode Tounkara君に、せめてもの弔意と最大の敬意を捧げます。




新サイトでは、次回からは最近のニュースを取り上げていく予定です。
多くの方に読んで頂けると励みになります。

どうぞよろしくお願いします。

彷徨う若者

Posted by SJ on 17.2013 アフリカ   2 comments   0 trackback
少子高齢化、そして人口減に悩まされる日本に対し、
アフリカの国々の現代諸問題の一つは、人口増加、特に若年人口の増加です。

一方で医療サービスや衛生環境の改善等による死亡率の低下と平均寿命の延びがあり、
他方で、避妊具の低普及や文化・宗教的理由による高い出生率が維持され、
人口の年齢的分布が変容し、従来の社会構造がバランスを失っていると言えます。

数的に限られた職に、より長くとどまる年長者、そして職にありつけない若者。
こうして若年層の失業率が高まる一方で、
就学の機会は拡大し、それに伴って若者が抱く将来への期待も増す。
ここに不可避的に現れる期待と現実のギャップは開くばかり。

アフリカの若者の目標とは何でしょうか?

人類学者たちによると、第一義的には、一人前になることです。
アフリカ、特に西アフリカの社会においては、
成人して、結婚し、自分の家を建て、家族を養うことが、一人前の大人になるということです。

そして、それがなかなか叶わないのが現実です。

西アフリカの社会では、伝統的に年長者が重んじられます。
結婚して家庭を持って初めて、一家の長として威厳を持つことができるのであって、
それまでは年齢に関わらず半人前なのです。

ただし、結婚するには経済力が必要です。
職にありつけない若者にとって、
家庭を持って一人前になるという、本来なら当たり前に繰り返されてきたことが、
どうしようもなく得がたい、それでいて代替手段の無い、唯一の大人への道なのです。

それができない限り、何歳になっても彼らは「若者」と呼ばれます。

アフリカの大都市を車で走っていると、交差点での信号待ちや渋滞の時に、
道路で様々な商品を売り歩いている行商人を目にします。
商品は、飲み物、ガム、サングラス、携帯電話、掃除用具など、本当に様々で、
たまに、可愛らしい子犬を売っている人を見かけたりもします。

売っている人は、大半が若い男性です。
彼らはストリートベンダー等と呼ばれますが、
これは所謂インフォーマルエコノミーと言われる、政府の監視の行き届かない経済活動であり、
適法の場合もあれば、違法の場合もあります。

フォーマルな経済活動で職にありつけない(=失業状態)ので、
このようなインフォーマルな経済活動に従事するほかないのです。
当然収入は高くないでしょう。
多くの若者は、親や親戚、または有力者からの資金援助無しには生計を維持できません。

このような若者の他者依存の状態を、社会的モラトリアムと呼ぶ場合があります。
日本など先進国で言うモラトリアムとは違い、
社会構造が理由で、責任ある立場になれないこと、つまり大人になれないことを指します。

日本の若者のモラトリアムは、主に大学生などのように、責任を猶予される立場のこと。

責任を持ちたくても社会構造的に持てないモラトリアムと、
責任を猶予される、またはそれから逃れられるモラトリアム。

結果的には同じ「モラトリアム」であっても、
実際はアフリカの若者と日本の若者は対極的な状況にあるのです。

では日本の若者は何を思っているのでしょうか?

バブル初期に生を受けた筆者は日本社会においてはもう若者とは呼ばれないかもしれませんが、
アフリカ的定義によればまだ若者のカテゴリに属します。

周知のとおり、アフリカの社会構造が変容しているのと同様に、
日本社会も大きく変質しています。
特に、都市部で生まれ育った筆者は、そもそも日本の伝統的価値に疎く、
日本での就業経験も浅いことから、礼儀や慣習についても、恥ずかしながら、自信がありません。

伝統が失われ、変形していくのを、身をもって感じ、それを体現している世代と言えるでしょう。
小学生の時分から家にパソコンがあって、次々現れる新しいテクノロジーと共に成長しました。
筆者は所謂「ゆとり世代」ではありませんが、
崩れた日本語を使い、バーチャルな世界と現実を自由に行き来する世代。
物質的には満たされながらも、鬱屈とした社会の停滞の中で成長した世代。

国家としての成長は頭打ち。経済規模で台頭する中国、インドに抜かれ、人口と共に衰退する国力。
そんな現実を見て過ごし、多くの若者は日本社会に希望を持てなくなっていると思います。

日本の若者の目標とは何でしょうか?

私たちは大人になるのは簡単です。
通過儀礼もない。20歳になれば自動的に成人と見なされ、法的に一切の自由を得られる。
もし就職活動で失敗しても、アルバイトや派遣の仕事で自活して生きられる。
そんな簡単で、当たり前に社会から与えられることは目標になりえない。

何のために生きるのか?何のために働くのか?
物質的豊かさを追い求める虚しさにはもう誰もが気づいているはず。

幸せとは何か?自分の心を満たすものは何か?
それはきっと人によって違うでしょう。
明るい家庭を築くこと。社会に貢献すること。偉業を成し遂げること。

でもおそらく、一つ共通するのは、それが他者の存在を前提にしていること。
幸せにするべき家族、貢献すべき社会の人、偉業を認めてくれる人々。
人の心を満たすのは人でしかありえないと私は思います。
誰かが笑ってくれること、感謝してくれること、褒めてくれること、愛してくれること。
人と人との心のやりとり。

そんな目に見えないものを追い求める中で、迷う人が大勢いるのは当然でしょう。
自ら望んだモラトリアムだとしても、そこで日本の若者も彷徨っているのです。
アフリカの若者が大人になれずに彷徨うのと同じ。
変わり行く社会の中で迷う若者たち。
親の世代が生きてきたのと同じ道はない。

ではどこへ向かうのか?

色んな若者が、世界のあちこちで、彼らなりの答えを示そうとしています。

そんな中で、私が示したいのは、
日本の若者とアフリカの若者は
きっと今までよりもずっと効果的に、密接に、手を取り合って、新しい道を開けるということ。
まだ誰も見たことがない世界を、共に作り出せるということ。

彷徨える者同士、手を取り合うのはごくごく自然なことでしょう。

対等な者同士が対等に助け合うということ。
それを実践していけたら、たぶん今とは違う世界が現れるはず。

日本から遠く離れたエチオピアの地を走る車の中で、そんなことを考えました。

Days in Ethiopia

Posted by SJ on 13.2013 アフリカ   2 comments   0 trackback
更新に間が空きましたが、この間2週間半ほど修士論文の調査でエチオピアに行っていました。

まだ冬の匂いの色濃く残るイギリスから、太陽眩しいエチオピアへ入り、
色々な意味で充実した日々を過ごすことができました。

エチオピアへ行くのは2度目でした。
前回は2年半ほど前、商社勤務時代に出張で1ヶ月半ほど滞在しましたが、
その時アディス(首都)で宿泊したホテル、そして当時使ったレンタカー会社に
今回もお世話になりました。

修士課程の短い期間では現地調査は1度しかできないので、
渡航経験があって多少なりとも勝手のわかる国、というのがエチオピアを選んだ理由でしたが、
実際に過ごしてみて、エチオピアに来て良かったなあとつくづく思いました。

一つには、2年半前に仕事で会った方々数名と再会を果たしたこと。
アポなしで急に押しかけたのにもかかわらず歓迎して頂き本当に有難かったです。

また、今回調査の目的で新たに知り合った方々も、
絶対にまた会いたいと思うような素敵な方ばかりでした。

そんなわけで、どうにかしてエチオピアに戻る、
できればエチオピアで職を得る道を模索しています。。。
会う人会う人に、卒業後の仕事を探しているとは伝えたのですが、さてどうなることか。

そんなわけで、僭越ながらエチオピアの紹介をしたいと思います。

まずはお決まり、エチオピア料理。これはバイヤイネットと呼ばれるベジタリアン料理です。
injera

エチオピア正教では、3月から4月にかけて1ヶ月半程、断食(fasting)の期間です。
ただし何も食べないのではなく、肉や脂を使った料理を食べないという意味です。
あと、正午までは何も食べないそうです。
(これに対してイスラムの断食は日没まで何も食べないが日没後は何を食べてもいいとのこと。)

加えて、時期にかかわらず毎週水曜、金曜は同様に断食です。
そう考えるとエチオピア正教徒はベジタリアン料理を食べて過ごす機会がとても多いですね。

続いて、タッジと呼ばれるハチミツから作ったお酒。
taj.jpg

前評判はドロっとしていてものすごく甘い、と聞いていましたが、
実際はサラっとしてドライな飲み口でした。
女性の意見ですが特に甘いと言うことはなく、おいしく頂けました。
この特徴的な形のグラスは伝統的なものだそうです。
これだと一気飲みしにくいし、安心してのんびりお酒を楽しめますね。

さて、エチオピアの名産と言えば?まずはコーヒーですね。
coffee picking

これはコーヒー加工場で、女性たちが手作業で豆を選別しているところです。
質の悪い豆(虫食いのあるものや色や形の悪いもの)をはじいて、コーヒーの品質を保ちます。
ローストする前のコーヒー豆は、こんなふうな薄い緑色をしています。
エチオピアの、今回私が訪れたジンマという地域は、アラビカコーヒーの原産地であり、
現在も森林にコーヒーが自生しています。
収穫後の処理をきちんとすれば素晴らしい品質のコーヒーを作ることができるそうです。
要はもともとの品質を引き出すのには整った環境が必要ということ。
ムハマド・ユヌスが貧困層の人々を例えて言った"bonsai people"というのを思い出します。
コーヒーも、人間も、同じですね。

エチオピアの輸出品目はコーヒー、皮革、ゴマなど農業産品が主ですが、
首都アディスアベバはかなり整備されており、アフリカ大陸では治安が安定しているので、
AU本部など国際機関の事務所も多く設置されています。
addis.jpg

これは私が滞在したホテルからの眺めです。街の中心からは離れた、空港エリアにありますが、
夕方はこのように交差点(ラウンドアバウト)付近はかなり渋滞します。

ここ10年近く、政府発表の成長率が10%超えで推移してきたそうで(昨年度は8%に落ちたそうですが)、
インフラの整備などがどんどん進んでいます。あちこちで建設中の建物を目にします。
また、現在中国企業がアディスアベバと港湾国ジブチとを結ぶ鉄道を敷設中です。
(エチオピアは海に面していないので、海上輸送ではジブチの港を使います。)
首都の道路も大方は中国企業が手がけているそうです。

他方、首都から2、3時間も車を走らせればがらっと景色が変わります。
rural.jpg

今回、首都から南西部のジンマに向かいましたが、
乾燥気味の中心部から山を抜け、西に進むにつれて緑が濃くなり景色がだんだんと変わって行きました。
この写真のように建物の何も無い土地が続いたかと思うと、
商店や家屋の集中する小さな町が現れ、
また何もなくなって・・・と、幹線道路沿いにそんな景色が続きます。

ひとつ印象的だったのは、道路沿いはほぼ完全に電化されていたこと。
家屋の造りも地域によって土壁、煉瓦、トタンと様々ですが、常に道路近くに電線がひかれていました。

地方都市ジンマはこのような趣。
jimma.jpg

首都と比べると道路の整備状況も悪く、
アジアでも御馴染みのトゥクトゥク(写真中央部、青と白の)も活躍しています。
(首都中心部では見かけません。規制があるのかもしれないです。)
また、馬車もタクシーとして使用されています。ナンバープレートがつけられて、普通に道路を走っています。
donkey.jpg

この写真中央左寄りを走っているのが白馬に牽かれた馬車です。
右の白と青のがトゥクトゥクタクシー。
あとは、ロバですね。ロバは地方に限らず首都中心部でも頻繁に見かけます。
薪なり水なり、色々な荷役に大活躍しています。
写真のように人(大体は少年)が乗っているのも稀に見かけます。
ロバ好きの著者としてはよだれものです・・

引き続き、ジンマのロバのいる風景。
jimma2.jpg

なぜアフリカ研究をするのか、とあちこちで聞かれますが、
一番の理由はアフリカが好きだからです。
ではなぜ好きなのか?と問われれば、そこに生命を感じるからです。
アフリカに限らず、所謂途上国にいると、人々が必死に生きているのを感じます。

大阪の新興住宅地で生まれ育ち、東京で大学を出て就職した私にとって、
日本の景色は整然として、便利で、最先端で、そこでの生活は快適で安全でした。

でも生命を感じませんでした。
毎日満員電車に揺られる人は何を考えているのか?
無心でゲーム機を操作したり、漫画を読んだり、イヤホンで音楽を聴いたり。
何かに必死になることがどのくらいあるのだろうか?
普通にしていれば何事も無く教育を受けられて、一日三食以上の食べ物にありつけて、
もし社会から取りこぼされても、十分すぎるセーフティネットに守られて生きていける社会。

生ぬるい停滞。
物欲は満たされても心は満たされない世界。
無目的に生きることへの行き場の無い焦燥、才能と若さの浪費。

21歳で初めて訪れた途上国はインドでしたが、なぜか遠いアフリカに惹かれました。
西欧諸国の人々に謂れの無い劣等感を感じるのと同様に、
アジア諸国の人々に対して根拠の無い優越感を感じていた部分が少なからずあったと思います。
そういう、おそらく歴史的に刷り込まれたしがらみから逃げたかったのかもしれません。

歴史的につながりの浅い、そして同時に、開発途上国の大部分をその胸に抱えるアフリカ。
そのアフリカ大陸で、初めて訪れたのがエチオピアでした。

エチオピアは数年間のイタリアによる占領を除き、植民地支配を受けなかった国。
人類発祥の地。エチオピア正教という独自の文化。
長い歴史と豊かな文化を持つ、誇り高い人々の国です。
しかし、天候に依存する農業が国民の大半の稼業であり、未だに世界最貧国の一つ。
1991年まで続いた社会主義政権の名残も色濃く、
今も民主化したとは言え事実上の一党独裁のもと、自由を謳歌できない人々。
所謂開発独裁の典型で、その圧政ぶりを警察国家と呼ぶ人もいます。

でも開発は着実に進んで、高等教育を受けた若者があちこちで活躍しています。
滞在中、何人かの20代半ばの若者と話しました。

私の調査に何の見返りも求めずあれこれ力を貸してくれた心優しいある青年は、
今の仕事を好きかという私の問いにこう答えました。

"I like any job."
どんな仕事だって好きだよ、と。

また別の青年は、働くことや、彼の将来についてこう話しました。

"I have a bright future. I always want to upgrade myself."
僕の未来は明るいよ。僕は常に自分を高めていきたいんだ。
彼は向上が見込めないからと政府関係の仕事を辞め、今はJICAで仕事をしています。


なぜアフリカ研究をするのか?
私が見たいものがアフリカにはあるからです。
未来を希求する若者。努力を辞めない人々。
美しい景色と、そこで生きる人。
何かに向かって生きるということ。

私は彼らのように生きたいし、彼らと共にありたいです。
助けたいなどと、傲慢な思いでアフリカに関わるのではありません。
彼らと同じものを見て、同じ世界を生きて、同じ感動を分かち合いたいです。

それが私の幸せであり、
もしもそれが誰か他の人の幸せにも繋がるのであれば、
そんな素晴らしいことはない。

私にはアフリカの地に広がる美しい世界が見えます。
このブログを通して、それを少しでも皆さんにお見せできれば嬉しく思います。

カメルーン誘拐事件から見る日本人のアフリカ観

Posted by SJ on 22.2013 アフリカ   0 comments   0 trackback
日本人のアフリカ観についてはマリの事件の時も少し書きましたが、
カメルーンのフランス人誘拐事件のニュースのコメントを見ていて色々書きたくなったので、
コメント欄から抜粋して考察してみます。
(コメントの引用元:http://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20130220-00000000-jij_afp-int&s=lost_points&o=desc&p=1)

引用の前に、
コメントした方々おそらく全員が、
フランス在住のフランス人家族がわざわざカメルーンに旅行に行ったという前提で意見していましたが、
実際はカメルーンの首都ヤウンデ在住の家族です。父親がGDF Suezという会社に勤めているそうです。

誘拐現場はカメルーン北部の観光地の近くで、国立公園に向かう途中、朝の7時に誘拐されたようです。
カメルーン北部はイスラム教徒が支配的な地域で、
ナイジェリアのイスラム過激派ボコハラムとその分派アンサルの活動が活発と言われています。
アンサルは昨年12月にフランス人を誘拐しており、
誘拐の理由はフランスのブルカ着用禁止政策とマリへの軍事介入と主張しているとのことです。

(以上、ソースは
http://www.guardian.co.uk/world/2013/feb/19/france-blames-islamists-cameroon-kidnapping?INTCMP=SRCH
及び
http://www.guardian.co.uk/world/2013/feb/20/french-special-forces-cameroon?INTCMP=SRCH)


わかっている事実関係は以上にして、ヤフーニュースのコメントを見て行きます(引用は””内)。

”西アフリカの人たちは、基本的にフランスが大嫌いだからな。”
”これをテロというなら、フランスはアフリカに何をしてきたというのか?自業自得だ。”
”フランス人は旧植民地を訪れる時に、もっと警戒すべきだろう。”

⇒このあたりは、フランスのカメルーンに対する植民地支配に言及したコメント。

最初の、西アフリカの人たちがフランスが大嫌いとは、聞いたことがないし実感もないですが
何を念頭においてのコメントなのか疑問です・・・

旧仏領はフランス語ができないと使える文献が限られてくるので、
フランス語のできる人しか研究対象にしない傾向があり、私もあまり多くを知りませんが、

旧仏領アフリカ諸国は独立後も様々な形でフランスの支援(介入)を受けており、
例えばクーデターの鎮圧に仏軍を派遣した事例もいくつもあります。
当然、鎮圧された側からすれば仏軍=フランス=悪という認識になるでしょうが、
保護された側の人間がフランスを大嫌いになるとはちょっと考えられません。

もちろん植民地支配下においても奴隷貿易は一時期行われていましたが、
カメルーンを含む西アフリカにおいては西洋の進出以前からアフリカ独自の帝国により奴隷制が敷かれていました。
強制移住、強制労働、強制的な課税など圧制を敷いたのも事実ですが、
列強と協力して権力や富を得た現地人もいました。

フランスに対してどのような感情を抱くかは個人差の一言に尽きるでしょうが、
今回の事件はナイジェリア(旧英領)のイスラム過激派によるものということなので、
植民地支配の議論は関連が薄いかと思います。
アンサルが主張しているのも、ブルカの禁止とマリへの軍事介入という現代の利害ですね。
ここは素直にイスラム過激派(ボコハラム/アンサル)対フランスという図式で見るのが自然かと思います。


”フランス国民は自国の政府がアフリカで何をしているか知らんのか?”
”自国がアフリカで戦争介入してる時に、アフリカ旅行とかどうかしてるわw”
”ほんと、このご時世にフランス人がアフリカを子連れで観光旅行って…。なめてますよね。”
”このご時勢にアフリカや中近東へ旅行する人々はアホだ。自業自得。”
”この時期に中東に行く人って、どの程度の危機感を持っているんでしょうね。既に指摘があるように、認識が甘いのかなと思います。”
”子連れで中東へ旅行?考えられない。”
(これは少し毛色が違いますが中東という勘違いをまとめてしまいたいのでここに引用しています)

⇒このあたりはフランスのマリへの軍事介入中にフランス人がカメルーン旅行なんて危機管理がなってないという議論ですね。
カメルーンを中東と思っている人が(2人も)いるのは残念の一言です。
日本でプレーしていたサッカー選手もしたし、わりと日本人にも耳馴染みのある国だと思うのですが・・。

これら全て、フランスからわざわざ子供まで連れてカメルーンに旅行したという間違った前提に基づく意見なので
これ以上考察することもないのでしょうが、
(念のため、駐在者が週末に国内の観光地を訪れるのはごくごく普通というか、
都市にいても娯楽が少ないので、国立公園に行くというのは極めて常識的な選択肢かと思います。
むしろ治安(強盗など一般犯罪という意味での)は都市の方が悪いのが一般的なので、
当然、子供だけ都市の家に残していくという選択肢はありえないですね。)

やはり「アフリカ」を一枚岩に捉えているのが気になります。
マリとカメルーンは西アフリカの旧仏領という意味では関連の深い国です。
ただ、「アフリカ」で軍事介入している時に「アフリカ」に旅行なんて、という表現は
どう考えてもマリとカメルーンの地理的距離や断絶性を無視した意見と言わざるを得ません。
ヨーロッパに置き換えると恐らくポルトガルとドイツくらいの距離でしょうか。

百歩譲って距離を無視したとしても、駐在者という可能性が思いつかないのがまた一つ問題です。
2月という時期、カメルーンという有名な観光資源のない国、家族連れ、と来れば
駐在者の家族かな、と思ってもいいと思うのですが(そして事実そうなのですが)、
アフリカで先進諸国の人間が就業しているイメージ自体が希薄なのでしょうか。

ちなみに既出のガーディアンの記事によると、カメルーン在住のフランス国籍者は6,000人だそうです。
対して、在カメルーン日本人はなんとたったの60人だそうです(ソース:外務省HP)。
あらためてカメルーンという国との日本の関わりの希薄さを感じますね。

中東との混同については、アフリカ=イスラム過激派のテロが頻発している=中東と同じで危険地域
という認識が透けて見えます。
象徴的なコメントを引用します。

”こんなんじゃ~全てのイスラム圏に行けないな!って言うかイスラム教いらね~わ”
”イスラム過激派の巣窟でもあるアフリカ諸国にフランス国民が遊びで行くには危なすぎると思うけどな~。怖いとか思わんのかな?”

このように、「アフリカはイスラム(悪)の拠点」というイメージが作られつつあるのでしょう。
イスラムについて多くを語れる知識はありませんが、
イスラム自体は決して悪ではありませんし暴力的でもありません。
ジハードの解釈は人によって異なりますが、
少なくとも政治的な報復行為としてのテロはコーランで是認されていないでしょう。

また、イスラム過激派のテロ行為は近年アフリカ大陸で活発化していますが、
今のところ北アフリカと西アフリカに限定されている印象を受けます。

北アフリカはもともとイスラム圏と言っていい地域で、
企業や外務省の分類でもアフリカでなく中東に含まれるくらいなので、
実際のところ、北アフリカとサハラ以南アフリカを「アフリカ」と一括りにして議論するのは現実的ではないです。

北アフリカ諸国と西アフリカ諸国は古くから交易路によって結ばれており、
西アフリカ諸国も内陸部(北部)にはイスラムが浸透し、北部地域ではイスラムが支配的です。
たとえば麻薬の密輸においてはサハラ縦断ルートの存在が指摘されていますが、
西アフリカのイスラム勢力と北アフリカのイスラム勢力との関連については、
米国により可能性として指摘されているというだけで、確証めいたものはないようです。

少なくとも、「アフリカ=イスラム過激派の巣窟」は暴論ですね。
いわゆる脆弱国家がテロリストの温床になっているという意見かと思いますが、
アフリカ諸国全てがテロリストの温床として名高いソマリアのような無政府状態ではありませんし、
言うまでもありませんが、北・西・東・中央・南アフリカと、
地域によって随分と宗教的構図が異なるはずです。
アフリカ諸国は歴史的、文化的、政治的な差異が驚くほど大きく、一枚岩に捉えるのは不可能です。


”思っていた以上に北アフリカやばいな”
”アフリカに近寄ってはいけないということだろうか。”
”自ら死にに行くことなんかないだろうに”
”アフリカ大陸には、一生行かないと思う。もし言ったとしても南アフリカだけだな。治安が悪すぎる”
”アフリカはごく一部の国(ケニアとか南アとか)のごく一部の地域しか行ってはならないと外務省は具体的に
警告を発すべきだ。”

⇒このあたりは「アフリカ=基本的に全部危険」という認識ですね。
カメルーンは西アフリカであって北アフリカではないというのはもういいですね。
この方々はアフリカ全部が危険地帯のような見方をしていますが、
繰り返しになりますが、アフリカを一枚岩に捉え一般化するのは不可能です。
五十何か国をひとくくりにしようというのは無関心からくる理解不足以外の何物でもないです。

また、テロの脅威と一般的な治安は分けて考えるべきかと思います。
言及されている南アフリカ、ケニアは「経済的・政治的に発展した国=安全」というイメージなのでしょうが
強盗や暴行など一般犯罪は大都市に集中しますので
むしろ南アフリカ、ケニアの大都市(ヨハネスブルグ、ナイロビ等)に無防備で行く方が恐ろしいです。
私の直接の知人が強盗に入られたケースはナイロビだけですし、
ケニア駐在を経験された方もナイロビは危ない地域があると仰っていました。
アフリカの三大治安の悪い国は南アフリカ、ケニア、ナイジェリアと
2年ほど前に商社の方が仰っていましたが、ずばり経済発展度合の高い三カ国ですね。

他方、サハラ以南でもタンザニア、セネガル、ウガンダ、ナミビアなどは観光地として有名で、
日本人も毎年相当数が渡航しているはずです。
知らないというだけで危険のレッテルを貼るのは完全に間違いですし、それこそが危険思想です。

テロの脅威の一つはいつどこから来るかわからない点です。
今回のように観光客をターゲットにした事件もあれば、
ナイジェリアの北朝鮮医師殺害のように地方での就業者を狙うものもありますし、
首都や大都市での誘拐や爆破もあります。

ターゲットが「フランス人」や「西洋人」であるならば、
その条件に当てはまる(又はそれと混同される)だけで、どこにいようと狙われる危険があります。

フランスや欧米諸国がイスラム勢力のターゲットにされやすいのに対して、
日本人は立ち位置があいまいですので、
企業等は人材派遣に際してテロよりも一般犯罪に巻き込まれる可能性を考慮しているはずです。
例えば、強姦発生率の高い国には女性を送らないというのは企業でも公的機関でもよくあります。

つまり、「テロが発生する=治安が悪い」という図式は必ずしも正しくないのです。
秋葉原や心斎橋の無差別殺傷、つい先日のグアムの殺傷なども、
普段は安全な場所で起こったテロ行為ですよね。
テロが発生したからといって、その地域を危険と見なすのはあまりに軽率です。


さて、最後に変わったコメントを一つ。

”ナイジェリアに連れて行かれる?!かわいそうすぎる!!助けてあげて!!!無事ですように!”

⇒ナイジェリアのイメージが極悪なのか、個人的に何か被害にあったのかわかりませんが、
ナイジェリアという国が単体でひどいというイメージをお持ちのようです。
誘拐 → かわいそう!助けてあげて! なら何とも思わないのですが、
ナイジェリア → かわいそう!助けてあげて! はどうしたことかと・・。

北朝鮮医師惨殺のイメージなのか、はたまた?
ボコハラムがイスラム武装勢力の中でも過激というのは世界的な認識のようですが、
ナイジェリアという国自体は大騒ぎするほど危険な国ではないです
(もちろん危険な地域は複数ありますが)。
在留邦人はカメルーンよりもずいぶん多いですし、日本企業も多く参入しています。
もし、ナイジェリア=ボコハラム=残虐=怖い国というイメージができてしまっているのならばとても残念です。
ボコハラム以外にも危険因子はありますし、逆に機会も多くあります。


何にせよ、メディアを通して得られる情報だけに基づいて正確な認識はできません。
ここでコメントを引用して考察することを通して言いたかったのは、
コメントした方々の理解不足や誤解を責めるためではありません。
間違ったイメージがついてしまうのは報道に少なからず責任があります。

しかし、ごく限られた、そしてしばしば恣意的に切り取り編集された情報に基づいて
何かを判断し批判するのは悪しき風潮だと思います。
ネット特有の現象だとは思いますが、不特定多数の目に触れ、伝播することを考えれば、
根拠のない無責任な発言は慎むべきだとは思います。

ただし、この記事の趣旨としては、間違ったイメージによってアフリカがどんどん危険視され、
今でさえ希薄な日本との関係がますます疎遠になったり、
日本人のアフリカ観がネガティブになってしまうことを危惧しているに過ぎません。

特にテレビや専門性の低い論客の記事など、メディアを通して流れてくる情報は、多くが
「テロとの戦い」や「西洋対イスラム」のような、
欧米発の単純化された政治的プロパガンダによってゆがめられています。

今回のような事件は痛ましく、被害者の方々が無事保護されることを願う限りですが、
その報道が、既成のプロパガンダを助長し間違ったイメージを植えつけるものではなく、
関心を呼び起こし、自ら情報を収集し正しい理解に努めるためのきっかけとなればいいと思います。


意図せず長くなりました。お読み頂いた方、お時間をありがとうございました。
  

プロフィール

SJ

Author:SJ
大阪生まれ、東京かぶれ、オーストラリア、ナイジェリア経由、2013年英国にてアフリカ研究修士号取得。
関心事項はアフリカ、開発、国際情勢、日本の政治・社会、メディア。
趣味は海外旅行と映画鑑賞、写真撮影。
世界で一番好きなものは猫(大小問わず)。

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